2008年10月 のアーカイブ

ハロウィーンを彫る

2008年10月31日


福岡に転勤して カーリンと結婚。
東京にいつかは戻るんだろうねと寂しげにつぶやく親父さんに、
「いえ、なるべく福岡にいます!」と誓った2年後には、
サンフランシスコへ転勤。そして その後は東京。
博多へは 山笠という祭りの中の祭りに出るために毎年帰るだけ。
その瞬間心からそう思うし、そこに嘘はひとつも無い。
秘かに これこそリーダーの大切な資質だと思っている。

外国で6ヶ月から3才の間盛り上がるハロウィーンを体験し、
お祭り好きな父の血を開化させた娘は、毎年どんなに忙しくても
大きいパンプキンを買ってきて 無心に彫る。
ターセン以上にイベント好きに育った娘、
時々あきれながらも 判り合える喜びにひたるのであります。

彫る

2008年10月29日


親父は小笠原の出身、小さい頃海でおぼれかけたターセンを
救ってくれた泳ぎの達人。
上京してテーラーになったのに、何故か電気のことを学んで
会社員に。そんな訳だから、自分のオーバーコートを子供の
上着と半ズボンに仕立て直したり、カーテンを縫ったりする
ことの出来るとても器用な人だった。
そんな父とインダストリアル・デザイナーになった兄、
この二人のもと、ターセンの学校での工作の宿題はいつも、
「どれ、かしてみなさい。」の一言で取り上げられるのが常。

長年のくやしさを晴らすべく,彫刻刀一式を揃え、前川秀樹を
師と仰ぎ ワークショップに出ること3回。ようやく形になって
きました。
ざっくり指まで彫って 血だらけになって、何を彫っても仏像に
見えるねと云われながらも、その先を目指すターセンでした。

ミネストローネ

2008年10月26日


自分の食べたいものを 食べたい時に作れたら幸せよおという
カーリンのすすめに従って、ちくわぶ だらけのおでんを
夢にみつつ、包丁を持つことにしたのは かれこれ10年前。
焼き魚に刺身、あさりのお味噌汁という、家族のヒンシュクを
かった献立も遠い記憶になりつつある。
数をこなすより 深めるタイプのターセンは、得意なメニューを
究めることにした。
そうして行き着いたのがミネストローネ。
もちろん 小学校時代からの思い出を彷彿とさせる にんじん
のようなキライなものは何ひとつ入っていない、ターセンの
特製ミネストローネ。ブラックオリーブを好きなだけ入れて
完成です。
ダンディゾンのおいしい豆乳バゲットのフィッシュと共に
ワインのすすんでしまう秋の夜長でありました。

Gore-Tex

2008年10月14日

真夏でも白のボタンダウンの長袖シャツに背広の上下を着て
涼しい顔でモーレツを楽しんでいた日々・・・あの頃なんで
汗まみれにならなかったのか、今でも不思議です。
最近では 寒暖差に苦しみ、大汗をかいては 自分の汗で冷えて
くしゃみ連発という苦難の毎日。頭から吹き出す汗を覚悟で、
大好きなスーラータンやマーバー豆腐を食べなければいけません。

カワイイおじさんを秘かに目指しているターセンとしては、
機能は重視するけど、それよりやっぱりオシャレ度が大切。
娘とワイフの厳しいチェックは 少々ウザくても素直に聞くことに
しています。
ゴアテックスは完璧に防水、しかも汗は外へという高機能の噂は
聞いていましたが、今回マーガレット・ハウエルとコラボ したことで
グっとおシャレなものが出たので即購入。
ほんとにすごい!どしゃぶりの雨でも中はカラカラ、最近のペナンに
いるような雨の降り方にも涼しい顔でいられる一着です。

内田鋼一の宇宙

2008年10月12日

ついに実現の日を迎えました!
願ってみること、口に出して言い続けること。
もうこれは 引田家の家訓となりつつあります。
興奮と感動の初日を無事終え、翌日朝 こうして冷静に?
ブログを更新しています。
存在感のある器 それはテーブルの上に無限の宇宙が広がるような高揚感。
みどりちゃんの素晴らしいスタイリングも併せて ぜひぜひ見に来てください。
そして ターセンの熱い内田讃歌を聴いてください。
前の日に受けた取材、吉祥寺のテーマなのに 鋼一くんのことばかり
話してしまった・・・大丈夫だったかなあ。

はい、先輩!

2008年10月8日

自営業を始めてからの習い事は 書道、フランス語、ピラティスとゴルフ。
またまたワイフに スポーツカーに乗ってゴルフをやっているんじゃあ、
どんなにいいことをしてもプラスマイナス0だよと言われ(なぜかワイフは僕にだけは厳しい!)。
それでも ピラティスのお陰で真っすぐになりつつある身体から放たれるショットは
日に日に威力を増し 上達する一方なのである。
日頃 どこにいても一番の年長者であることが多いターセンも、ここゴルフ場では まだまだ若造だと言われてしまい、
「はい、先輩!」とちょっと若返ることができる環境でもあるのです。

脇阪さんの はりこの家

2008年10月1日

子ども達がまだ小さかった頃、カラフルな車のテキスタイルの
ふとんカバーを使っていました。それが、マリメッコ初の日本人
デザイナー 脇阪克二さんの作品なんだとつながったのはついこの間のこと。
今回 展らん会をやっている いしげまりこさんと脇阪さんは旧知の間柄で、
5年前の上京の折もfeveを訪ねてくれました。
すごい人は 決して自分のことをすごいとは云わない、
このターセン理論をまた確証できる出会いでもありました。
そんなご縁で「猪B」(ターセンは いのしし年のB型なんです)のとこで
やるのならと はりこの家を特別に作ってくれました。
うーん、出来るなら全部買い占めてしまいたい!
ほんと ギャラリー・オーナーって つらいんです。
あと3日 お見逃しなく。